In Summary: メイン記事要約 – Issue 2, 2025

大阪・万博の復活劇:再び世界の舞台へ

1970年の大阪万博(Expo ’70)は、日本の第二の都市・大阪にとって、1600年代の将軍到来以来、最大級の出来事だった。東京五輪に刺激を受けた「第二の都市」大阪が、その魅力を世界にアピールする歴史的イベントであり、あらゆる面で大成功を収めた。経済成長が絶頂を迎える中、77の国と地域、そして多数の日本企業が参加し、総来場者数は6400万人超にのぼった(当時の日本人口の6割に相当)。実際には“日本人の60%が来場した”というわけではないが、国民の大多数が関心を持ったことを示している。特に日本であまり知られていなかった国ーたとえばカナダにとっては、ブランド認知の絶好の機会となった。

以降、日本では約20年ごとに地方都市で万博が開催される流れができた。だが、その中心だった大阪は、近年東京に圧倒され、活気を失っていく。テーマパークやカジノ、海上空港など様々な施策が講じられる中、2018年に発表された2025年大阪・関西万博の開催決定は、1970年の熱狂を再び呼び起こす希望となった。

しかし、今日の万博はかつてほどの魅力を持たないという見方もある。海外旅行やネットで情報を得ることが当たり前になった現代、万博は「予算のある都市の見せ場」にすぎないとする声も。先進国では参加に消極的な国もあり、日本の支援を受ける途上国の方が積極的だ。結果として、158の国・地域が参加するものの、パビリオンの規模は以前より控えめとなっている。

会場中央を囲む全長2km・高さ12mの巨大木造リングは圧巻だが、会場はごみ埋立地に建設されており、開幕直前にはメタンガスの問題が発覚。さらに、チケット販売サイトの使い勝手の悪さや、パビリオン予約の煩雑さが来場者の不満を招いている。

訪問者の一人であるロンドン在住のカナダ人家族は「見たいものは多かったが、予約なしでは並ぶばかりで6つしか見られなかった」と語る。一方で、バルト三国のパビリオンやドローンショーなど、楽しめた部分も多かったという。

また、外国人観光客が大阪の繁華街には溢れているにもかかわらず、万博会場には足を運んでいない現実もある。「存在すら知らなかった」「チケットを取るのが面倒」といった声も多く聞かれ、会場の外国人比率はせいぜい15%程度に感じられた。

科学技術の展示ではなく観光PR、そして一部パビリオンは高級ブランドの展示場化している点にも批判がある。しかし、それでも「見せる勇気」を持って世界に向けて開催した大阪には敬意を表したい。美味しい食、陽気な人々、親しみやすさ。京都や奈良、あるいは神戸へ足を延ばすなら、大阪を拠点にするのが正解かもしれない。

 

再生の奇跡を描く:カナダ館が魅せる春の物語

2025年の大阪・関西万博において、カナダ館はカナダの四季、特に「再生の季節」である春をテーマに構築されている。建築デザインは、北国に見られる春の氷の造形にインスパイアされており、かつて1970年の万博で話題をさらったアーサー・エリクソンによる鏡張りの名作パビリオンとは対照的に、より控えめながらも詩的な佇まいを持つ。設計を手がけたのは、レイサイド・ラボシエール建築事務所とギヨーム・ペルティエ建築家。そして、展示全体の構成を担ったのは、演出家として世界的に知られるケベック出身のロベール・ルパージュだ。

内部展示では、氷と雪に覆われた白の世界が春の色彩に一変する、カナダならではの季節の奇跡がインタラクティブに表現される。来館者は入場時に小型のタブレットを渡され、それを用いて館内に配置された氷山のような白いオブジェにかざすことで、幻想的な風景が現れる仕組みとなっている。葉をつける裸木、滝を流す氷壁、列車が飛び出す岩のトンネルなど、映像と想像力が融合した演出が展開される。

ただし、操作性にはやや難があるため、30名ほどの多言語に堪能な若いカナダ人ホストたちが、来場者のサポートにあたっている。この“人”の存在がカナダ館の最大の魅力とも言われており、日本での万博参加経験が豊富なカナダが大切にしてきたホスピタリティの伝統がここでも息づいている。メディアでも「人気パビリオンのひとつ」として取り上げられている理由のひとつだ。

また、カナダ名物の「プーティン」を提供するAir Canada提供の軽食コーナーや、アイコニックな赤い制服に身を包んだ2人の王立騎馬警察の登場などが来場者を楽しませている。

5月17日には、万博会場における「カナダデー」が開催された。あいにくの大雨ではあったが、在日カナダ大使のイアン・マッケイ氏、館長ローリー・ピーターズ氏、コストコジャパン代表ケン・テリオ氏、カナダ商工会議所(CCCJ)会頭マーク・ボルデュック氏をはじめ、多くの来賓が参列。名古屋の東海日加協会からも大勢が駆けつけ、盛大な式典となった。

式典後には、音楽やダンスのパフォーマンスが行われ、これまでの万博で登場してきたk.d.ラングやロリーナ・マッケニットといった有名アーティストに代わり、今回は知名度にとらわれず、カナダの多様性と包摂性を前面に打ち出す構成となった。ファースト・ネーション、メティス、アカディアン、黒人など、様々な出自・身体的背景を持つアーティストたちが舞台に立ち、多様なカナダ社会を象徴する催しとして高い評価を得た。

開幕に登壇したアニシナベ族の長老ジェラルド・サガシゲ氏のスピーチは、やや戸惑う内容だったかもしれない。彼は聴衆の日本人に対し「この土地に無断で踏み入ったことへの謝罪」を述べたのである。とはいえ、こうした誠実さも含めて、まさに“カナダらしさ”を体現したステージだった。

その後、夕方にはカナダ館のパーティールームで関係者向けのレセプションが行われ、同じ出演者による夜のコンサートへと続いた。雨にも負けない熱気に包まれた一日となった。

 

万博が育てたカナダのキーパーソンたち

1970年の大阪万博は、カナダにとって日本との関係を深める重要な転機だった。前回のモントリオール万博(1967年)の成功に続き、カナダは大阪にも大規模に参加。連邦政府に加え、オンタリオ、ケベック、ブリティッシュ・コロンビア各州も独自のパビリオンを出展した。当時のカナダは日本への関心が薄く、日本語人材も限られていたが、キリスト教系の宣教師家庭出身者やアジア学の学生たちが採用され、日本語研修を受けて現地へ派遣された。

カナダ館は建築家アーサー・エリクソンによる鏡張りの美しい構造で、鯉の泳ぐ池や水上ステージ、アイススケートショーや民族舞踊などを特色とし、アメリカ、ソ連と並ぶトップクラスの人気館となった。一時間あたり2000人以上の来場者が詰めかける盛況ぶりだった一方、現地の観客との文化的なギャップや過密な来場者数により、対応する若者たちは困難な状況にも直面した。それでも、Expo’70はカナダという国の知名度を飛躍的に高め、以後の観光ブームへの足がかりとなった。

その後もカナダは沖縄(1975)、つくば(1985)、愛知(2005)の各万博に参加。沖縄では会場が市街地から遠かったため、近隣パビリオンの各国スタッフと深い交流が生まれた。つくばではTVスタジオの誘致や、k.d.ラングのライブなど、メディア戦略と多様性に富む文化発信が功を奏した。愛知ではオタワ出身のアラニス・モリセットが出演するなど話題を集めた。

このように、カナダの万博スタッフはその後も日加関係の中核を担ってきた。

ージョン・パウルズは1986年バンクーバー万博までカナダ館を指揮

ーブライアン・スミスは長い外交官キャリアを築いた

ーヘルガ・ステファンソンはトロント映画祭の創設に関わる

ーエレノア・ウェストニーはMITなどで日本専門の社会学教授に

ーウィルフ・ウェイクリーはTVタレント、弁護士、CCCJ議長として活躍

現職のカナダ大使イアン・マッケイも、万博経験を経て現在の地位に。オンタリオ州代表のクリスチャン・ハウズも当時からのメンバーだ。

また、ジョン・マクギーは1970年の万博で茶道に出会い、京都で研鑽を積み、裏千家で初の外国人教授職を得た。また、故CW・ニコルは日本語で100冊以上の著書を出し、環境保護の第一人者として広く知られた。彼は2020年に79歳で他界した。

 

1970年から2025年に至るまで、カナダと日本を結ぶ架け橋となった万博は、世代を超えて個人の人生と国の関係性を深く形作ってきたのである。

 

「このささやかな雑誌を本当に誰か読んでいるのだろうか」――そんな自嘲めいた疑問を抱えていた編集部に衝撃が走ったのは、前号の表紙特集がテレビで取り上げられたという報が届いたときである。2025527日放送のテレビ東京『ワールドビジネスサテライト』において、ケベック州の企業アリマンタシオン・クシュタールによるセブンイレブン買収の動きが報道され、当誌が掲載したアラン・ブシャールに関する特集記事が紹介された。番組内では、引用にとどまらず、表紙および記事の見開きがそのままカメラの前に掲げられた。

読者の一人が番組のスクリーンショットを送ってくれたことで編集部の知るところとなり、その反応は驚愕の一語に尽きる。実際の映像や書き起こしにたどり着くのは締切直前まで困難を極めたが、それでも確かに報じられていた。

テレビ東京が注目したのは、日本のメディアではこれまで触れられてこなかった「クシュタールの原点」に関する当誌の視点である。モントリオール郊外の小さなデパヌール(個人商店)から出発し、ほとんど英語を話せなかったにもかかわらず、アラン・ブシャールは国際的な企業へと成長させた。その過程こそが「驚異的な成功物語」として映ったのだろう。

番組では、ブシャールによる「クシュタールとセブンイレブンは多くの点で似ているが、フランチャイズオーナーとの関係性には大きな違いがある」という発言も紹介された。報道によれば、クシュタールがセブンイレブン加盟店の不満を解消する一助となる可能性がある、との示唆がなされていた。

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