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世界最大級のコンビニチェーン2社の本拠地がどこにあるか聞かれてモントリオール郊外のラヴァルを思い浮かべる人は少ないだろう。セブン-イレブンの親会社であるセブン&アイ・ホールディングスの本社は、東京・四ツ谷駅のすぐ近くにある。一方、サークルKの親会社であるアラマンタシオン・クッシュタールは今から45年前、創業者のアラン・ブシャールが最初の「デパネール」をオープンした場所からほど近い工業団地に本部を置いている。「デパンヌール 」?パリ人ならレッカー車の運転手か修理工という答えが返ってくるだろう。しかし、ケベックのスラングでは、「困ったときに助けてくれる」、つまり、深夜にタバコを切らしてしまったときにどこに行けばいいのか、というような場所のことを指す。Dépanneurとcouche-tard(緩く訳すと「夜更かし」)は、konbiniが正真正銘の日本語であるのと同様、ケベックらしい言葉である。
クッシュタール(31カ国に16,800店舗を展開)は現在、競合のセブン-イレブン(20カ国に85,000店舗を展開)の買収を提案し。表向きは、外国人オーナーが日本の象徴に何をしでかすかわからないという懸念から、最初の提案は拒否された。国際結婚のパートナーとなる「2人」の相性はいかに?両社には類似した特徴と重要な相違点を併せ持つ。両社は成長の初期段階において、大型スーパーとの競争制限などの同じような環境的利点の恩恵を受けている。ケベック州ではかつて、スーパーが日曜と深夜営業禁止されており、その分野をデパネールに解放していた。デパネールはビールの販売も許可されていたが、州の酒類専売機関であるSAQはワインと蒸留酒を販売していた。宝くじが導入されると、「デパネール」は大勝利を収めた。こうした追い風を受け、個人商店や大手チェーン店の買収を開始し、45年間で75件以上の買収を行った。一方日本では、イトーヨーカ堂が、自民党が選挙で優位に立つための重要な柱であった地元の商店会によって保護されていた小規模な独立系食料品店の近隣独占に風穴を開けることで大勝利を収めた。1,000平方メートル以上の店舗を地元から締め出す「大規模小売店舗法」もまた、消費者に不公平な負担を課し、輸入品を締め出す原因だった。1974年にセブン-イレブンが東京に第1号店の開店から10年後、セブン-イレブンは、ITを駆使したPOSシステムを中心に設計された小型店舗業態のパイオニアとして、この障害を独創的に克服した。顧客がおにぎりを買うと即時に倉庫に連絡がいき、1時間以内に配送トラックに載る。このシステムのおかげで店内保管が不要になり、新鮮な食品を店頭に並べることを可能にした。
POSシステムの成功により、セブン-イレブンは主にフランチャイズ加盟店によって運営される店舗の全国展開を可能にした。日本でのブランドイメージが上がる一方で、90年代初頭にはアメリカのセブン-イレブンは倒産の危機に瀕していた。そこで、「日本の子ども」が親会社であるサウスランド社を買収し、セブン-イレブンは日本のブランドとなった。クッシュタールもセブン&アイ・ホールディングスも、フランチャイズ店と直営店を併設しているが、両者の大きな違いは、フランチャイジーとの関係にある。セブン&アイはトップダウンの企業構造と全権を掌握する本社がマネージャーに密接に指示を出す、基本的に伝統的な日本企業だ。対照的に、クッシュタールは徹底して現場主義を貫いており、ラバルの小さな施設以外に本社はない。トロント証券取引所に上場するカナダ企業であることに変わりはないが、管理部門は 「サービスセンター 」のネットワークに分散されている。これらのセンターは、買収した企業が拠点を置いていた都市にある。これは、創業者のアラン・ブシャールが意図的にとったアプローチである。ケベック州の奥地サグネー地方で苦労して育ったブシャールは、弛まぬ努力と天才的な観察眼、そして成功への決意を持って25歳の時にモントリオールにやってきた。別の会社で数店舗を立ち上げた後、1980年にたったひとりで最初の店を開く。間もなくブシャールは、3人の友人をパートナーとして迎え入れた。それから45年後、彼は会長となり、2人の旧友が取締役として今も残る。ガイ・ジェンドロンはブシャールの伝記『Daring to Succeed』の中で、チームは当初から野心的な成長目標を掲げていたと記述。多くの競合他社が店舗のカウンターに立ったことのない重役が率いていたのに対し、ブシャールチームは、一角の店舗経営の細部や、それを成功させるために必要な人間的資質を熟知していた。しかも、次々とチェーン店を買収していく中で、ブシャールチームは「自分たちが一番熟知している」態度で臨むことはなかった。例えば、ケベック市の小さなチェーン店を買収した初期、その名前を非常に気に入ったチームは他のすべての店舗と会社を 「Couche-Tard 」にブランド変更した。そして、2003年にクッシュタールがサークルKチェーンを買収すると、サークルKのブランド名は最終的に世界中の全店舗に広まった。ケベック出身の上層部たちはとても謙虚で実直だったので、何年もの間、質素なホテルに泊まり、エコノミークラスで移動し続けたが、店舗や経営機能がこれほどまでに分散した現在では、企業用ジェット機が不可欠となっている。ケベック訛りが濃く、英語力も乏しい彼らは、ターゲットから過小評価されがちだったが、それがしばしばチームにとって有利に働いた。しかしながら、どのような買収であれ、買ったものにうまく乗せることができなければ、安値で買う価値はほとんどない。結局のところ、新体制が嫌いな人はドアから出て行けばいいのだ。成長に最も力強く貢献したのは、クッシュタールの謙虚さと現場重視の姿勢かもしれない。買収された企業の幹部たちは、自分たちが二流市民ではなく、昇進の機会がすぐに与えられることに喜びを感じている。そしてブシャールは、店舗数が増えすぎて訪問できなくなるまで、新店舗をすべて自ら訪問し、現場のマネージャーやスタッフとの会話を大切にしていた。人々はそのようなリーダーシップに反応するのだ。現在、創業者たちはセミリタイアし、新しい世代が指揮を執っている。しかし、クッシュタールは成長意欲を失ってはいない。新世代がこれまでで最大の買収を成し遂げようとしている。果たして 「ラバルの雄 」はまたもや過小評価されるのだろうか?時間が解決してくれるだろう。
現在、セブン-イレブンは日本全国に21,500店舗以上を展開する国内最大のコンビニエンスストアであり、日本の象徴のような存在だ。店舗は清潔でトイレは信頼でき、惣菜の品揃えは豊富で、いつも新鮮だ。日用品の品揃えに加えてワインの品揃えもまずまずだ。またセブン-イレブンは間違いなく日本の銀行よりも優れた銀行サービスを提供している。公共料金の支払いに、国内の銀行では通常10分以上かかる(営業している場合)のに対し、コンビニでは24時間、1分もかからない。つまりセブン-イレブンはどこにでもあり、頼りになる存在なのだ。この脆弱な島国では頻繁に起こる災害に見舞われると、人々はコンビニを利用する。しかし近年、同社の業績は市場を失望させている。アナリストたちは、経営陣が百貨店やスーパーなど他の多くの事業に手を出しすぎていること、キャッシュレス決済システム「セブンペイ」の失敗で注目を集めたこと、本社と店舗の距離が遠すぎることなどを指摘している。その結果、日本のセブン-イレブンのフランチャイジー(店舗のオーナー経営者)の間で不満が広がっているという。セブン&アイは直営店とフランチャイズ店の数を公表していないが、大方の予想ではフランチャイズ店が全体の60~70%を占めている。外資による買収を直感的に拒否反応を示す日本人の性質を考えると、これは重要なことかもしれない。経営陣への不満は根深く、「外人 」オーナーも悪くないと思えるようになるかもしれない。最大の争点は、すべての店舗は何があっても24時間営業しなければならないという本社からの指令だ。深夜遅くまで賑わう都市部では理にかなっているかもしれないし、中国人やベトナム人移民が喜んで遅番のシフトに入る。しかし、深夜12時を過ぎれば客は一人もいないような地方の店舗では、誰が勤務をしなければならないのだろうか?他に働き手がいない場合、その役目はフランチャイジーが負い、本社への嫌悪感を長時間反芻することになる。その様なフランチャイジーは、アラン・ブシャールがクッシュタールの企業文化に驚き、喜ぶかもしれない。アラン・ブシャールは、買収が成功した場合、どのような方針で臨むかを明らかにしている。「私たちは日本のセブン-イレブン・ブランドを大変尊敬しています。「私たちの目標は、グローバル・ビジネス全体で成功事例を共有し、グローバルな顧客ベースのオペレーション、商品、価値を向上させることです。私たちの目標は、現地の経営陣がお客様へのサービス方法を最もよく知っているようにし、現地のお客様に親しまれてきた商品やサービスをセブン-イレブン・ジャパンで提供し続けることです」。
最初の入札は拒否されたが、クッシュタールはあきらめなかった。45年の歴史の中で数十件の買収を成功させてきたクッシュタールは、ラバルの「デパンヌール」を決して過小評価しない。